近畿副首都圏の建設を目指す
2003年11月01日
by 藤岡良治さん
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この国に住む人々の生活不安の深刻さは、益々身近なものとなってきている。このことは、日本の政治と経済が「国民の期待」に大きく反れてきた結果として起こっていることに対して、真剣な取組みが見られないという「日本の行き詰まり状態」を象徴的に物語っている。日本の戦後復興は、東京に政治と経済を集中することによって「奇跡的な成功を遂げた」が、なお同じ体制を維持する事が「奇跡的な成長の持続」を可能にする唯一の選択であると信じてきた。また国は、文部科学省の主導の下で教育の主眼を暗記力を競うことによって、「奇跡的な成長」の時代に応える人材を社会に送り出すことに総力を挙げてきた。しかし「バブルの崩壊」は、国家が一定の経済成長をクリヤーした段階で、たとえ国の総力を結集したとしても、一都市の指導で総べてを切り回すことが可能である時代が終わったことを悟るべきであったことを示唆するものであった。日本国中に広がる犯罪や事故による社会不安の増大は、流行の先導役を演じて来たその裏で起こっている「首都東京」のスラム化がその実態を象徴している。われわれが悟るべきことは、「一極集中体制」が益々日本を弱体化しているという現実である。
過去十数年関、将来像が見えてこない日本について色々と模索する中で「ブレーク・スルー」として得た結論が、ここで提案する経済や文化に関わる日本の本部機能を関西地区に移すことを目指す「近畿副首都圏」の建設の構想である。「近畿副首都圏」の建設こそは,「曖昧さ」との決別なしに先進国としての日本の活性化はありえないのであり、「国造り」につながる最も確かな選択であることを訴えたい。各方面での有意義な議論を大いに歓迎したい。
21世紀に目指す「新しい日本−副首都建設構想」
「日本の21世紀」は「日本の副首都大阪」から発信…
戦後の日本は、東京に拠点を置いた一極集中の「国造り」で奇跡的な発展を遂げた。しかし、「バブルの崩壊」がこの経済大国日本を襲って以来この国の発展の歩みは、むしろ後退に変わってしまった。21世紀の開幕は、新しい日本の将来が見えてくると信じられていたが、その期待は大きく外れ、既に新しい世紀に入って4年目を迎えようとしているが、いまだ何ら新しい確かな変化が起きる気配さえ感じられない。即ち、首都東京主導による日本の「国造り」は、既に機能しなくなっていることを悟るべき時期にきている。特に戦後の日本の歩んだ「国造り」の歴史は、日本のすべての機能を東京に集中した一極支配による「日本のアメリカ化」であった。幸いにも、経済大国アメリカの繁栄によるその一端の恩恵を受けることができたことにより、日本は「奇跡的な発展」を遂げることができた。しかし、アメリカ一辺倒の「国造り」は、「バブルの崩壊」によって、完全に破綻した。
「21世紀東京発」といったキャチフレーズは、もはやこの国にとって何のインパクトも無くなってしまっているのである。日本の首都東京は、この国の政治、経済、文化について,今やこれまでのように何から何までも中心となって指導できる要素を持ちあわせていない。次々に発表された「新しい経済政策」は、結果的に何らの実質的な効果も無く、発表した政府機関の言葉による独り相撲で終わることがもはや常識となってしまっている。同様に、表面的な過激さだけを売り物として我が物顔で日本をリードしているかのように振る舞う日本のメディア界にしても、既に行き着く所に来てしまっている。どの企画も何ら特別に関心を引くような内容の物は完全に消え去り、メディア界自身「メディア界無要論:」の挑発者になろうとしている。
東京主導の「国造り」を日本の「グローバル・スタンダード」とする考え方は、もはや通用しないことが既に証明された。日本が取るべき最も大胆で効果的な対策は、現在集中している機関や機能を東京以外の主要都市に分散し、第二の首都、即ち「副首都」の実現といった思い切った一大プロジェクトを真剣に考えることである。
このテーマに対する最も現実的なアプローチは、東京に次ぐ日本の大都市大阪に金融を含む経済活動とその決定機能を集中させた「近畿副首都圏」の建設を実現する構想である。経済や文化に関わる本部機能を大阪に集中することによって、日本の経済材活動を大阪を中心とした近畿圏から全国及び海外に向けて発信していくようになれば、大阪は、今後の日本の経済と文化の展開に指導的な役割を果たすことになる。21世紀は、「アジアの復興と安全」が大きな課題となることは明らかであり、日本にとって近畿圏の役割が大幅に強化されることが必要である。極めて近い将来、巨大な人口と豊富な資源を抱える中国と他の東アジア諸国は、21世紀の世界情勢に計り知れない影響を与えることになる。西日本の経済界が日本の第二の首都大阪を経済中心の「副首都圏構想」の実現に一致団結することは、日本の総合力の弱体化と国際的な影響力の後退に歯止めするものであり、東アジア諸国全体との友好的な交流の発展にも画期的な役割を果たすことになる。同時に、こうした努力は、日本の将来及び世界秩序の安定をより確かなものとするうえで最も具体的な決意のメッセージとなる。
日本の将来に向けた大胆な行動は、もちろん日本経済以外の分野に対しても多大な良い効果を与えるであろう。経済面で大阪が日本の首都としてその機能を本格始動することになれば、当然中央政府の経済や金融に関する執行組織が近畿圏に移ることも必要となり、日本の国家機能の分散にも貢献することになる。大阪中心とした近畿圏の副首都化が軌道に乗ってくれば、当然九州、北日本、北海道といった地域にも、やがて「地域副首都構想」といった考え方が生まれてくることになる。この小さな島国にアメリカの州制度のコピー化を思わせる「道・州制の導入」といった官僚主導型の政治的な課題を新たに持ち出す事は、益々「スラム化」する日本の都市社会の現状に対して見て見ぬ振りをすることを意味している。経済と文化を中心とした副首都の実現といった建設的な将来像が堅実に実行されることこそ、日本の地方が総合的な自立力を高める事に現実性が生まれてくるといえるのである。地方の発展は、当然中央政府の大胆な組織改革を容易にすることになり、巨大化した行政組織の縮小によって透明性と効率性の両面で行政機能の大幅な改善と国家予算の管理の健全性を現実のものとすることになる。
もう一つのテーマは、皇居の移転である。京都は、日本の天皇の住いとして十分機能する環境を持っている。皇居が国政の機関と同じ地に位置でなければならない理由はない。むしろ天皇は、日本の古い伝統文化の中心に住まわれることこそ、日本の象徴として最も相応しいというべきである。皇居の京都への移転は、東に東京を中心とした行政首都圏に対して西に大阪を中心として経済・分化副首都圏を建設することになり、日本の国家経営のバランスと健全性を高めることにも大いに貢献することになる。「国会移転」といった政治的な議論は、巨額のコストを伴うのみで経済効果や将来的な展望について全く不確定であるのに比べて、「近畿副首都圏構想」こそ日本の政治と経済のバランスを確立し、経済の活性化にとって最も現実的で具体的な効果をもたらすことになることが容易に想像できる。
日本社会のスラム化の傾向は、東京を頂点として大都市中心に益々拡大の一途を辿っている。様々な制度は根底から崩壊し、この国の秩序が大きく崩れてきている事は、東京を中心とした一極集中の国家体制そのものが国民の力の限界を示しているといえる。確かに、「近畿副首都圏構想」と提唱は、日本の現体制の骨組みに大きな変化をもたらすことになり、各界にとって「余り気乗りしない話し」のように映るであろう。しかし、この国の仕組みの転換は、生活のリズムを変えることが特に苦手な日本人の性格に照らして、将来に向かって日本の政治及び経済の健全さをより確しかなものとするために必要なチャレンジである。「ダイナミックな日本」の復活のためには、関西を中心とした「元気な近畿」が必要であり、日本の政界、財界、それに特にメディアの業界が、今こそ一致協力して「近畿副首都圏構想」の国家的な事業の意味合いを認識し、その実現に向けて思い切った行動が起こされるよう、声を大にして訴えたい。
平成15年11月1日
藤岡良治 (浦安在住)