国土庁募集「夢プラン」応募作品
首都機能移転先の新都市〜それはどのような街なのでしょうか?
1998年06月17日
by FUJIさん
出典:国土庁ホームページ
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新都市全体を見渡すとどのようなイメージ(眺望・景観)なのでしょうか
(総論的なものも含んで書きます)
深い山に囲まれた内陸の盆地であり、盆地の中央には5万人程度の人口を有する旧市街があります。数百年は続いている文化的にも成熟した街で、外国からの使節がいかにも興味を引きそうな文化や歴史がある、しかも交通の要衝の城下町であり、かつ、小京都的な街です。
旧市街から数キロ離れた郊外の里山か休耕田跡に新都市が建設されます。新都市は碁盤の目状に区分されています。ただ、少し離れると、指摘されなければ分からないくらい木が生い茂り、緑の中に埋もれるような(上空から見ると日本庭園のような)街です。(そのような自然と共生した外観に訪れた外国人は「日本らしさ」を見出すような気がします)
周囲は、有機農法の水田が広がり、鮎が釣れる澄んだ川が流れ、ダイオキシンも酸性雨の心配もなく、ただただ、国家機関の新住民と、旧市街と周辺の農家の旧住民しか住んでいません。夜は静かです。天の川が見えるくらい暗いです。とはいえ、コミュニティが出来上がっているので夜道も怖くありません。残業をしたい公務員は、市内に張り巡らされたケーブルテレビ網を兼ねた光ケーブルを使った在宅勤務システムを使います。夜はお父さん、お母さんは、お家にいるのです(少なくとも通勤で疲れ切ってはいません。子供にとって、一緒に遊んでくれなくとも、少なくとも、仕事をしている親の姿を直接見ることが出来るのは人格形成の上で大きい意味があるのではないのでしょうか)。
それでは、すごく不便なのか、というと、そうではなく、周囲70キロ以内に旧来の大都市と学術研究都市が3つから5つあり、国際空港も24時間営業の海上ハブ空港が2つ以上あり、それらを結ぶリニア新幹線および私鉄の高速鉄道網と高速道路規格の無料国道が整備されているため、「気分転換にお買い物に行く」というスタンスなのです。そもそも、新都市の人口は多くなりませんから、電車で「座って」周辺の大都市に遊びに行けるのです。(あるいは、休日は、子供と一緒にクワガタ採りをしたり魚釣りをしている方が多いのかもしれません)。その周辺の都市群も、それぞれに数百年続く独自の文化を有していますから、首都圏の街のような「小東京群」ではなく、互いのエリアの過剰な拡大を抑制し、均衡を保つ、独立した「大人の都市」です。
高校までの教育機関は市内にありますが、大学は学術研究都市か周辺大都市に通うか下宿します。新都市に大学を設けることは、特定の学閥形成の原因になります。少なくとも3つ以上の有力大学が学閥形成を抑制均衡しあう形にならなくてはなりません。したがって、大学は新都市にはないのです。18歳人口も減ることですし新設の意味もないような気がします。スポーツ施設もあまり大規模なものは必要ありません。人口に見合ったものがあれば結構です。
立法・行政・司法の各機関、国際機関、サービス機関、住宅地などがどのように配置されているのでしょうか
官庁街は現在の東京のように「塊」の中に「配置」ではなく、大阪のように「筋」に沿って各機関が「並んで」いる街です。東京の過密化の原因は、街を「塊」と捉えて、「エリア」を区切り、その中に「配置」するところから始まったように思います。立法筋、行政筋、司法筋、国際機関筋、サービス機関筋という通りがあります。マスコミは、キー局本社は周辺都市に残し、サテライトスタジオがあるだけというのが望ましいでしょう。情報発信にしても一極集中は各地方の文化を壊してしまいました。新都市住民の住宅地は、徹底した職住接近型です。新都市のある里山のとなりの里山に、軽井沢の別荘地風に並んでいます。
新たな国会議事堂はどのような姿でしょうか
安藤忠雄氏の設計によるものです。看板は榊莫山氏に書いてもらう。某K駅のような、へんちくりんなものは絶対にやめて欲しい。とにも、かくにも恥ずかしい。新宿駅の南口やら臨海副都心のような遊園地まがいの幼稚な造形の建物は勘弁してもらいたい。安易な「国民公募」(愛称も含む)もやめてもらいたい(「レインボーブリッジ」の類のベタな愛称がついたらたまらない。こういうのは偉いお坊さんとかに頼むものである。建築家を対象にした国際コンペは構わないが、談合隠しまがいのものならやらない方がよい)。悪いSFに出てくるような建物ではなく、何千年もの昔から、そこにあったような、しかし、やはり、21世紀に建てられたのは間違いのないという建物が欲しいのです。
どのような交通機関が整備されているでしょうか
まもなく設計寿命を迎える新幹線の全面改修のバイパスという意味でもリニア新幹線は必須です。各私鉄の新都市乗り入れと高速化。2つ以上の海上国際ハブ空港までの時間は東京・成田間の半分以下が目標です。ヘリポートはあっても良いかもしれませんが、ジェット機が降りるような空港を新たに作るというのは、いかがなものでしょうか(リニアはレシプロ機より速いのだし)。都市間「中高」速道路は無料。ただし、流量を押さえるために両端は有料道路にしておくのも手です。「道路と分離された軌道」をもつ新路面電車網が市内の足です。地下鉄もモノレールも、街の安全と外観を損なうだけです。ああいうものを造りたいというのは悪いSFの読み過ぎか、大阪万博のイメージが強烈だったのかいずれかです。身障者や高齢者のためのバリアフリーの街を造るのが難しくなります。
「もっとも注意しなければならない」のは、道路にせよ鉄道にせよ「環状線」は絶対に造ってはならないということです。Aでも述べたとおり、街の形の基本は「筋」です。環状の道路や鉄道は、街の形態を予め制限してしまい、有機的な発展を阻害してしまいます。「筋」の構造をもつ街は、状況にあわせてダイナミックにその形態を変えることを可能にします。市内での自動車についてはディーゼル車やガソリン車の使用は徹底的に制限されるべきです。
能率的で快適な職場環境はどのように実現されているでしょうか
中央官庁は低層の建物です。高層ビルは造ってはならない。あれは悪いSFの読み過ぎです。風景を楽しみたければ新都市には高い山がたくさんあります。あくまでも巨大な日本庭園の中で仕事をしている気持ちにならなければなりません。
民間企業はむしろ、周囲の旧来の大都市に分散されなければなりません。それでは、過密化解消の問題はどうなるのか、といわれるかもしれませんが、だいたい2時間も満員電車に詰め込まれて会社に通っているところは実は東京以外では存在しません。経済の軟着陸と人口の減少とともに自然にいい感じになるのではないのでしょうか。快適な職場環境の実現には、むしろ、新都市と周辺都市への東京圏からの人口の流入を憲法の枠内で、いかに制限するか、が課題になります。そのためには、40年前(東京の)上野駅に降り立った「現在の東京の住民(とその子供)の出身地」とは言葉や文化が異なる地域への移転が必須なのです。憲法の枠ぎりぎりでの厳しい対策を期待したい。(なにより人口が予定以上に増えればテロや自然災害に弱くなります。これは大問題です)
テレワークスについて書くのは、多分、お約束でしょうから書きますが、インターネットとは別系統の国産の安全な通信網と規格の整備を急がなければなりません。新都市の通信手段のひとつとしてのインターネット使用には、かなり懐疑的な立場を採った方が良いのではないのでしょうか。電話会社系の光通信網と新都市独自の光通信網の数系統が使われていると思われます。電話料金は全国(少なくとも地域ブロック内)一律3分10円になっているべき。ただ、日本人の精神構造からして、テレワークスは、あくまでも妊産婦の現場復帰までのつなぎや、子供の起きている時間に親が帰宅できることを確保するなどなど補助的なものであり、公務員は新都市の役所へ、会社員は周辺大都市の会社へ「通う」という形態は変わらないと考えます。
住宅地はどのような様子でしょうか
すべて、庭付き60坪以上の一戸建てです。いわゆるニュータウンの「庭なし一戸建て風のウサギ小屋」で問題になりがちな隣近所との紛争を避けるためにサッシの防音等は厳しく規格が定められています(少子化のひとつの原因には大声をだす子供をとてもマンションやウサギ小屋では育てられないということがあります)し、犬猫の飼育は飼い主に厳しい資格制限と義務が課せられています。もちろん本下水完備。住宅に関する「不在地主」は厳しく制限されるべきでしょう。憲法の枠ぎりぎりの制限を期待します。
高層マンションは決して造ってはなりません。集合住宅自体規制されるべきでしょう。お江戸の長屋以来、集合住宅ほど、日本人の「近代的な個人意識」と「人間として誇り」を蝕んだものはありません。周囲への無関心を生んだだけです。「長屋の人情」などというものは「悪意のある幻想」です。
きちんとした住環境を造り、青年団、消防団があるようなコミュニティを造ってこそ、少年犯罪、テロ、自然災害の2次災害等は防止できるというものです。「一戸建て風のウサギ小屋」だけは許してはなりません(そのためにも新都市人口の計画以上の増大はあらゆる手を使って封じなければなりません)
商店街は「老舗、高級専門店」が並び、同じ「筋」に人寄せのための「郊外型スーパー」が並びます。つまり、「筋」が基本の街ですから、「郊外型スーパー」と「旧来の商店街」が同じ通りに一直線に並び、旧市街の空洞化という現象が起こらないのです。
住宅地内の移動は「電動補助付ママチャリ」が主体。巨大なママチャリ置き場と専用道、盗難防止のための電子的なシステムが商店街と住宅地には完備されています。
東京の近郊に住んでいると、世の中には、サラリーマンしかいないような錯覚に陥りますが、やはり、商売人や農民といった、多様な職業の人たちがいてはじめて国が成り立っているのだということがわかるように旧市街との「間合い」を考えてもらいたいとおもいます(新旧住民が「完全に」一緒に住むのも確かに辛いところがあるんです)。ニュータウンのようなものは造ってはなりません。先に書いたように軽井沢の別荘地のような雰囲気が欲しいです。
<最後に一言>
3つの地域があがっていますが、たとえ「現在は」国会移転だけの問題であるにせよ、大和朝廷発祥の地や伊勢神宮まで飛行機を使って半日もかかる土地に首都機能をもつ新都市を造るという話は現実問題として有り得るのでしょうか。
日本国も国家である以上、国家としてのアイデンティティを現首都東京以上に薄めるような地域への首都機能移転に国民の合意を得るのは、まず無理と考えます。
(下手をすると、なにかの利益誘導があったのではないか、などと勘ぐられる可能性すら出て来かねません)
国家の一大事、そこのところが実は一番大切なのではないのでしょうか。