首都機能移転を語るシンポジウム

1998年12月05日 上野市文化会館

主催:首都機能移転を語るシンポジウム実行委員会

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首都機能移転を語るシンポジウム
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第2回三重・畿央新都フォーラム
甲賀・東近江新都フォーラム
三重・畿央に首都機能を!決起大会
三重・畿央に首都機能を!フォーラム
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シンポジウム日本の未来首都
21世紀の日本のビジョンと新首都像
三重・畿央に首都機能を!シンポジウム
三重・畿央地域首都機能移転推進総決起大会

平成10年12月5日、上野市文化会館に於いて、「首都機能移転を語るシンポジウム」が開催された。

最初に主催者として、柴田格県議が、「今回、伊賀選出の県会議員5人が、住民の意見を聞きたいという趣旨でこのシンポジウムを開催した。」とあいさつした。

続いて、来賓の北川正恭三重県知事があいさつした。知事は、「首都機能移転は、地域の問題として取り上げていきたい。地方分権や首都機能移転は総合的で見えにくいが、21世紀の国内政治で重大である。三重県は鈴鹿山麓と畿央高原の2地域が選定され、首都を受け入れる力があると認められた。京都や大阪、場合によっては名古屋の都市機能を活用し、緑の残る首都としたい。」と述べた。

次に、国土庁首都機能移転企画課企画官の橋本武氏の基調講演が行われた。この中で、移転する首都機能が具体的に示され、移転するのは三権の中枢部門である国会、中央省庁の企画立案部門と災害対応部門、最高裁で、皇居は移転しないと述べた。その他、首都機能移転問題のポイントや、これまでの経緯と今後の予定などが説明された。

そして、亀井利克県議をコーディネーターとしてパネルディスカッションが行われた。

森川義久県議は、「畿央4府県には4800haの国公有林があり、土地がある。三重県は2ヶ所が候補地に選定され、県議会は常任委員会として、首都機能移転特別委員会を設置した。」と説明した。

坂本武三重県総合企画局理事は、「私は前職で、講演された橋本さんのポストにいて、前総合企画局理事であった清水さんと入れ替わるかたちで出向してきた。」と、三重県と国土庁のパイプは万全であることを説明し、「平成4年頃から三重県は首都機能移転にいいところではないかと言われており、平成8年に三重県が鈴鹿山麓を推薦した。畿央は県が応援していなかったが、国会議員の有志が取り上げてくれたために、畿央も候補地となった。」と、畿央が候補地になった経緯を説明した。

今岡睦之上野市長は、「歴史の節目節目に、畿央周辺が登場している。畿央は東京経済に匹敵する、関西と中部経済の中心である。」と、畿央の有利性を強調した。

辰巳雄哉名張商工会議所会頭は、「首都機能移転が畿央に決まれば、大きな経済効果が期待できる。新首都の建設には、世界の企業が参加し、技術のオリンピックとなるだろう。生態系の保全やリサイクルなどで、次世代都市のモデルとなることができる。」と述べた。

坂本理事は10月に行われた審議会の現地視察の感触について、「審議会の石原会長は、いつも視察の後に難癖を付けるが、畿央の視察の際は『広すぎる』と言わた。しかし、広いことは長所でもあり、4府県にまたがる広い地域ということは、政治的に大きな力を持つ。」と、広いことの優位性をアピールした。

これからの取り組みについて辰巳会頭は、「三重は取り組みが遅れている。二頭を追う者は一頭も得ずというように、三重は候補地を絞る必要がある。」と、県の姿勢を暗に批判し、「東濃が横綱であれば、畿央はまだ平幕である。地元の盛り上がりが欠けているので、悔いの残らない運動をする必要がある。」と述べた。

森川県議も、「三重県は取り組みが遅れている。他の県はいろいろやっているのに、三重はパンフレットも少ない。県民が一致団結する必要がある。」と述べた。

その後、会場からの質疑応答が行われ、「各市町村内に専門の担当を置いたり、他の候補地の勉強をするなど、もっとがんばてほしい。」などの意見が挙がった。

最後に辻本進県議が挨拶し、「伊賀に県政なしといわれているが、伊賀に国政ありとなるようにがんばろう。」と決意を述べた。


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